カルマンギアおじさん日記 2006年10月に購入したカルマンギアとのお付き合いを中心につれづれなるままに書いてみたいと思います。お気軽にコメントいただけるとうれしいです!

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よいお年を!



2010年の大晦日。
カルマンのオイル交換をし、ガレージの整理をし、写真パネルを壁に貼り付けました。

内部の塗装をしてからすべて取っ払ったままになっていたので…。



今年もいろいろなことがありました。

カルマンはついに、車高をノーマルに戻し、本物のホワイトウォールタイヤを装着しました。

少しずつですが、オリジナルヴィンテージ仕様のカルマンに近づきつつあるのですが、お肌の老化も進みつつあります。



今年はカルマン第2回目の100台ミーティングを実施することができたのが嬉しかったですね!

全国からお集まりくださった皆様、そしてお手伝いいただいた皆様、
ほんとうにありがとうございました!

次回は?
例によって未定なんですね~、これが…。


個人的には9月から仙台に単身赴任になったことが大きな出来事ですね~!

何十年ぶりかに一人暮らしを楽しんで?います。

向こうに戻ったら真冬の東北が待ってますね。
でも、仙台はそんなに雪も降らないようなので、安心ですが、怖いもの見たさというか、大雪も見てみたい気もします。

クルマのイベントは2009年以上に行くことができなくなってしまいましたが、来年の春以降は関東に戻ってきますからね。

また休みが取れれば出没したいと思っています。


一通り、掃除や片づけが終わったら、ちょうど2010年の最後の夕陽が沈むところでした。


近所の家々が夕陽に染まっていました。


2011年が私たちにとっても、皆さんにとっても、日本が、そして世界がいい方向に行ってほしいものですね!


今年1年、このブログにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします!!

よいお年を!!
  (この挨拶、好きです!)


日記 | 投稿者 赤の’57 16:48 | コメント(11)| トラックバック(0)

掃除三昧



仙台から無事に戻ってきました。
ウチに着いたときはすでに日が変わっていました。

途中、福島県を走っている間はずっと雪が降っていました。
私が通るときには積もるほどではありませんでしたが、通過後にSAの交通情報を見るとチェーン規制がかかる場所も出てきていました。

私が通過した後に降りがはげしくなったのでしょう。
何の障害もなく走ることができてラッキーでした。


毎年、購入しているBowさんのイラストのカレンダー。

2011年版は10月が356です。
356は毎年イラストが掲載されていいですね!

カルマンのイラストは今年もなしです。
というか、Bowさんはまだカルマンのイラストは発表していないようです。

よほど本人が好きでない限りは雑誌社などからのオーダーがないと描かないようですからね。

カーマガでカルマンの特集をして、表紙をカルマンのイラストにしてくれないですかね?

お願いします。ネコさん!!



イトヤンさんが送ってくださってたストラップ。

さっそく、2台の携帯に取り付けました。
イトヤンさん、ありがとうございました!!


さて、こちらは帰りに寄った常磐道の友部SA。

リニューアルされてとてもきれいになっていました。

建物の中には中庭もあったりして、おしゃれです。

これも民営化の利点ですね!
お役人ではこんなこと思いつかないでしょ。

小さなPAなどではコンビニが入っていたりしてこれも便利です。
ちょっと食べたくなる肉まんやアメリカンドッグなど、コンビニの方が、ずっと安いですからね。

旅行ではなく、出張でSAやPAを使う身にとっては観光地料金の食べ物にはちょっと抵抗があるわけです。

東北道の滝沢SAには、いつかこのブログでも紹介した激安大衆食堂の半田屋が入っていたりしますからね!

これは助かります。


さて、今年も残すところ今日と明日の2日のみになりました。

今日はカミさんが急遽仕事になったので、ひとりで掃除をしています。
床のワックス掛けが終わったところでブログアップの時間にしています。

おとといは仙台のアパートの大掃除をして、昨日はオフィスの大掃除をして、今日は自宅の大掃除です。
明日は2台の車の洗車が控えていて、大晦日までバタバタで終わりそうです。

そういえば、昨年の大晦日もヴェスパの錆取りをしていました。
あれから1年、ガレージ保管になって錆は出なくなりました。
やはり、クルマやバイクにとってガレージ保管はいいようですね!


さて、戦闘再開です!



日記 | 投稿者 赤の’57 10:56 | コメント(2)| トラックバック(1)

帰省準備



注文していたパーツが届きました。



ドライブシャフトとロアアームです。
どちらも日本製ですが、軽のパーツはやっぱり安いです。
ドライブシャフトは1万円しないし、アームは5000円せずに手に入りました。



ワゴンRは買ったときからハンドルを大きく切るとゴリゴリとフロントの左側から音がしていたのですが、ドライブシャフトとロアアームのヘタリが原因ということです。

早速、交換しようと思うのですが、デブ早さんじゃあるまいし、自分でできるわけはなく…

いつもお世話になっている近所のガレージでお願いしました。


持ち込みの修理でもいつも気軽に応じてくださり、オーナーの方に、感謝・感謝です!

旧車にも強く、頼もしいです。
ということで、感謝の気持ちを込めてちょっと宣伝!(笑)



おかげで異音はなくなりました。
交換したのは左側だけなので、右側も時間の問題なのかもしれません。
どうせなら両方交換したほうがいいのはわかっているのですが…。

外した部品を見てみると想像以上にへたっていてガタガタでした。
これで安心して年末年始の長距離移動ができます。


ガレージの片隅にこんなペダルカーが…。

男のお子さんがいますが、小学生なのでもうこれは卒業したのでしょう。


昨日のお昼はウチのすぐ近くにあるラーメン屋さんに行ってみました。

なんでもない住宅地にあるので目立たないのですが、いつも混んでいる感じで気になっていました。

頼んだのは醤油ラーメン。

焼きアゴ(とびうお)を中心とした魚介類の出汁で、見た目は透き通ったあっさりしたスープですが、食べてみるととても深い味があり、おいしかったです!

人気の理由がわかりました。


今日はようやく仕事納め。
アパートの大掃除も昨日終わったので、仕事が終わったらその足で千葉に戻ろうかと思っています。


車(カルマン以外) | 投稿者 赤の’57 06:36 | コメント(56)| トラックバック(0)

コメント消滅について

いきなり、コメントがいくつも消えたことに関して、ホビダスのカスタムサポートからの回答です。

**********************************************
ホビダスブログ・カスタマーサポートです。
ご利用ありがとうございます。

お問い合わせの件ですが、
12月23日20時頃から12月27日16時頃に投稿されたコメントが
削除されてしまいました。
原因は調査中ですが、システムの一時的な障害か
管理側の不手際の可能性がございます。

一度削除されたコメントを復活することはできません。
大変申し訳ございません。

心よりお詫びを申し上げるとともに、今後このようなことがないよう、
万全の配慮をいたしてまいります。

今後とも何卒よろしくお願いいたします。
**********************************************

う~ん…。

困ったものです…。

コメントをくださった皆様、申し訳ありません…。

これに懲りずに今後ともよろしくお願いいたします。



投稿者 赤の’57 16:43 | コメント(35)| トラックバック(1)

雪の秋保



どうしちゃったのでしょう?
いただいたコメントがごそっといきなり消えています。
私はなにもしていないのですけど…。

きっと、消えてしまったものは復旧しようがないのでしょうが、原因がわからないとイヤですね…。

コメントいただいた皆さん、すみません…。

ホビダスさん、お願いしますよ…。

さて、クリスマスの2日間、東北地方や北陸地方ではたくさんの雪が降り、福島県では車が300台も立ち往生して丸一日以上車の中で過ごすことになった方もいたようです。
一晩で1mも積もったというのですからすごいですね。

仙台市内は4~5cmの積雪だったようですが、すぐに溶けてしまい、今はもうほとんど残っていません。

秋保(あきう)の方はどんな状況なんだろう…と、ちょっと行ってみました。

秋に行ったときには紅葉が散る季節でした。

この日の秋保は道路はほぼ完全に雪は除雪されていましたが、周りにはかなり雪が残っていました。

秋保大滝は冷たそうな水が大量に落ちていました。


秋保大滝不動尊も雪化粧。




狛犬に積もった雪がたてがみのようでした。


めがね橋も寒そうにしてました。



そして、酒タンポ、新品が手に入りましたよ!


567円。

そんなもんでしょ。

厨房機器を売っているお店に寄ってみたらありました。


中古の機器や食器、道具類もありましたが、新品の品揃えのほうが多かったです。

いろいろと面白そうなものを売ってそうでした。
今度ゆっくり見に行ってみますかね。

これで、鍋+徳利から鉄瓶+酒タンポでの熱燗づくりに変わります。


東北地方での越冬はこれで決まりですね!



みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 07:25 | コメント(6)| トラックバック(0)

お願いしますよ!



私のカルマンはフロントボンネット内にあるプレートの番号によると、15079番目に製造されたカルマンのようです。

カルマンは20年間に44万2196台が製造されています。(タイプ3カルマンは含めず)

カルマンの素性を知る番号関連は4つあります。

ひとつはシャシーナンバー。
これはリアシートを剥がすと打刻されているのでわかります。
車検証の車体番号はこの番号になります。

次にエンジンナンバー。
これはエンジンケースのダイナモを支える首の部分に打刻があります。

それからボディナンバー。
これはフロントフード内、スペアタイヤの裏のブレーキオイルのタンクのところにあります。

最後にフロントフード内のタグ。
これは57年型までの角テールと一部の58年型角テールだけにあるものです。
上の写真の一番上のプレートになります。
ほぼ、ボディナンバーに近いのですが、若干ずれがあります。

ボディナンバーの方がタグのナンバーよりも若干多いので、作られたボディの中で市販車に採用されていないものがあったのではないかと推測してます。

そして、カルマンギアの中でも最も最初に製造された1955年のモデル。
(1955年製造のモデルでもモデルイヤーとしては1956年型となります。)
いつかのネタにしましたが、55年だけの特徴を持っているため、角テールフリーク重症患者は区別したくなります。

結局、一口に角テールといっても、55年、56年、57年、58年、59年と年度ごとにすべて違う特徴を持っていてその部分を確認できると年式を推測できるわけです。
(モデルイヤーの途中からという変化もあるわけですが…)

どの年式であろうが、貴重なことは同じなのですが、その中でも希少性の高い55年製造モデル。

資料では1955年には1282台が製造されています。
この中の何台が現在生存しているのか知る由もありませんが、Lowlight registryというサイトに登録している55年モデルは28台です。
これらの55カルマンは少なくとも生存しているわけですが、その状態はちょっと残念な状況のカルマンが多いのですよ…。

ボディナンバーかタグナンバーがわかっているもののみ取り上げてみました。(両方記載されてる場合はタグナンバーの方を優先しました)



これは、現存するカルマンで最古じゃないかと持ち主も思っているカルマンです。
39番目の製造です。

1955年8月22日にラインオフされ、現在もドイツにあります。
このカルマンはきれいにレストアされています。


このカルマンは117台目の製造です。

1955年9月21日のラインオフで現在はフィンランドにあります。
シンプルなナンバープレートですね!


これは280番目のカルマン。

1955年10月8日のラインオフ。
ほとんど土に返りそうな状況ですね。
現役中はサイケデリックな塗装がされていたようです。
アメリカに出荷されたカルマンですが、現在はコロンビアにあるようです。


316台目のカルマン。

1955年10月12日のラインオフ。
なぜか、角テールのライトが三日月に変更されています。
しかし、ボロボロですね…。
デンマークにあります。


317台目のカルマン。

1955年10月14日のライオンオフ。
ヘンテコなフェンダーミラーが付いてますね。
ドイツ出荷モデルですが現在はノルウェーにあるようです。


319台目のカルマン。

1955年10月13日のラインオフ。
上の写真のカルマンよりもタグナンバーは2番後なのですが、ラインオフは1日早いですね。
オプションの取り付けとかで入れ替わったのですかね?
このカルマンはカルマン変態患者の中ではとても有名なカルマンです。
女性のオーナーです。
とてもオリジナル状態が保たれていてすばらしいカルマンです。
出荷も現在もドイツです。


381台目のカルマン。

土に返りかけていますね。
せめて屋内で保管してほしい…。
現在アメリカにあります。


488台目のカルマン。

このカルマンはレストアされています。
ボディカラーはもともと赤だったようですが、内装はオリジナル状態が保たれているようです。
アメリカに出荷されたようですが現在はイギリスにあります。


559台目のカルマン。

このカルマンはなんと、日本にあるようです。
詳細不明です。


593台目のカルマン。

パーツの保管庫のようなところで保管されている雰囲気ですね。
アメリカにあります。


624台目のカルマン。

1955年11月21のラインオフ。
このカルマンも残念な状況ですね…。
アメリカに出荷されたカルマンですが、現在はコロンビアにあるようです。


716台目のカルマン。

これもボロボロです…。
アメリカにあります。


751台目のカルマン。

1955年12月2日ラインオフ。
ドアとフードは他のカルマンから移植しているのでしょうか…?
アメリカにあります。


869台目のカルマン。

これでも土に還りかけているのをレストアしているようです。
なんと、ウルグアイにあります。


1022台目のカルマン。

ボロボロのボディだけです。
なんとE-bayに売りに出しています。
開始価格は365ドル。
高いのか、安いのか…。


1037台目のカルマン。

1955年12月21日のラインオフ。
このカルマンは動いているようです。
アメリカにあります。


1038台目のカルマン。

1955年12月17日のラインオフ。
かなりきれいにレストアされています。
アメリカにあります。


1091台目のカルマン。

1955年12月21日のラインオフ。
このカルマンも一応レストアされています。
ドイツ出荷ですが、現在はベルギーにあります。


とこんな状況で、いいコンディションの個体が少ないのが残念です。
でも、わざわざこのレジストリーに登録しているくらいですから、貴重さはわかっていて、この先復活の可能性もあるのだとは思います。

すでにこの世から姿を消したり、どこかで朽ち果てようとしている個体もあるのでしょう…。

ぜひ、1日も早く復活させてあげて長く次の世代に引き継いでほしいものです。

お願いしますよ!!




カルマンギア全般 | 投稿者 赤の’57 09:48 | コメント(6)| トラックバック(0)

無人販売



先日から突発的にランニングをしたりしているのですが、いいこともあるものです。

虹を見つけたり、



野菜の無人販売をしているところも見つけました。
(雪が降る前の話ですが…)

ランニングを終えてお金を持って買いに行ってみると、持ち主のおじさんがちょうど商品の入れ替えをしているところでした。



目当てはキャベツ。
大きな玉が100円と、スーパーの半値近くでした。

猛暑の影響で野菜が高くなってますからね!

他にもいろいろな野菜が売られています。
自家製の漬物もおいしそうなのですが、独り暮らしには量が多すぎるように感じて…。

まあ、100円~200円ですから気軽に買える値段なのですが、器も買わないといけないし…。



本格的に寒くなってくると、熱燗が恋しくなります。
私は邪道といわれますが、本当に熱い熱燗が好きです。
お店で頼むときも、出来るだけ熱くして!と頼みます。

徳利を素手で持てないくらい熱いのが好きなのです。

そんな熱燗のおいしい季節、ほしくなってるのがこれ。


鉄瓶にコレで決まりでしょ?

燗つけ器という名前で呼んでいましたが、他にも呼び名があるのですね!

近所の店を探しましたが、どこにも売ってなく、う~ん仕方がないとネットで探してみて他の呼び方を知りました。

ご存知でした?

チロリと言ったり、
酒タンポと言うこともあるようです。

高級品は錫や銅で出来たりしているようですが、安いアルミ製のものでいいんです。

古くからやっている金物屋さんに行けばあるだろうと思ったら、そこでも置いてないんですね~。
カッパ橋に行けば絶対にあるのでしょうけどね…。

ヤフオクでは中古なのに1000円以上の価格で売ろうとしています。

でも、さすがアマゾン、新品を4~500円で購入することが出来ます。

でも、送料のほうが高くなってしまうので、なんだかなあ…と買うのをやめました。

みなさんどうやって燗をつけてるのでしょう?
コップに入れて”チン!”なのかなあ…。

実家では電気の酒燗器がありました。
便利なんですけど、情緒ないですね…。

今度、業務用の厨房機器など売ってる店に行ってみますかね。



みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 08:22 | コメント(2)| トラックバック(0)

雪の朝



今朝の様子です。
もっと積もるほど降るかと思いましたが、思ったほどでもありませんでした。

でも、今も降っていますので、これからもっと積もるかもしれません。

こちらに来て、雪がちらつくことはありましたが、積もるほど降るのは今回が初めてです。



クリスマスが終わると本格的に年の瀬に向かって一直線に進んで行くのでしょうね。

テレビでも今年のまとめの話が多くなってきました。


昨日は仙台市内を何箇所か移動していたのですが、お昼に初めて天下一品ラーメンを食べました。

お店の建物には一言、「濃」と書かれています。

ホントに濃いですね~。
胃が元気なときじゃないと、壊されそうなくらいです。

いろいろなラーメンがあるものですね…。

家族連れも数組来ていましたが、小さな子供にこんな濃いラーメン食べさせていいなかなあ…。


こちらは我が家の鉄瓶。

毎日お湯を沸かし続け、内側にちょっとだけ湯垢がついてきました。
すこしだけいい状態になってきました。


今日は幸い休みなので、雪見酒でもしてるかなあ…。
どんどん降っていいよ!!

燗つけ器でも買って来ますかね!
鉄瓶にピッタリだと思うのですよ。

もっと安っぽいやつね。
今どき、売ってるかなあ…。


みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 08:59 | コメント(0)| トラックバック(0)

ホワイトクリスマス



仙台はホワイトクリスマスになりそうです…。

みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 21:54 | コメント(0)| トラックバック(0)

メリークリスマス!!



べつにいいんですけどね。
クリスチャンでもないし…。

この年になってサンタさんに来てほしいと思ってるわけでもないし…。(ちょっと思ってるけど…)

ラジオからクリスマスソングががんがん流れてくるのも嫌いじゃないし…。
クリスマスソングは名曲が多いですしね!
マライヤとワムは聴き飽きたので勘弁ですが…。


そんなわけで、今日はクリスマスイブなんですよね!

なんせ、単身赴任中ですから、ノープランです…。
会社の関係者は全員家族がいるし、もうひとりの単身赴任の上司は東京だし…。

普通に仕事して普通にアパートに帰って酒でも飲みますかね…。

独りで街に繰り出してもむなしいだけだろうし…。

クリスマスイブだからって特別な日になる必要はないわけですしね!


ブログネタとしては、クリスマスに関係するカルマンやビートルの画像を適当に集めてみました。


きっと1958年か59年のクリスマス時期のショーウインドーなんでしょうね!

カルマンのクリスマスプレゼントなんて!!
って、思いますが、実際にいるんですよね~。
よく似たカブリオレを奥様にプレゼントした方が…。

カッコよすぎます!!

ミニカーならプレゼントできますが、逆に引かれますからね…。




この写真はいいですね~。
雰囲気あります。

どうやってもみの木を積んでいるのか疑問ですが…。
風にあおられて危ないし…。

でも、とても雰囲気のある写真です!!










皆さんが素敵なクリスマスイブの夜を迎えられることを…

ち~っとも祈ってなんかいませんよ!!

ウソウソ…

そういえば、前に住んでいたマンションの目の前に松屋があって、クリスマスイヴの夜に独りで牛丼食べてる人たちを見て、寂しいだろうな…なんて思ってましたが、
それ、今年の自分だ!!



メリー クリスマス!!


日記 | 投稿者 赤の’57 08:22 | コメント(0)| トラックバック(0)

ラストサムライ



ラストサムライはロードショーでも観たのですが、古本屋さんでDVDをバーゲンしていたので買って改めて観てみました。

う~ん…、評価の難しい映画ですね~!

肯定的に捉えるか、否定的に捉えるかでずいぶん切り口が変わってきます。

まあ、ハリウッドが作った時代劇としてはよく出来ていると思います。
こんなのを日本や日本人と思って見ないでくれ~!!
とまでは思いませんから…。

見終わって嫌な気持ちにまではなりませんし…。
アクションムービー大作として観ればいいことです。

渡辺謙サンを世界に知らしめてくれたということでも、監督のエドワード・ズウィックやトム・クルーズの功績は大きいかもしれません。

源流に日本や武士道に対する愛や憧れのようなものを感じます。

ストーリー的にはダンス・ウィズ・ウルブスの日本版といってもいいかも…!

実際、トム・クルーズの役をケビン・コスナーが演っても問題ないかもしれないと思えるくらいです。

時代設定は1876年~77年。明治9年です。

1876年というと、映画にも出てきますが、廃刀令が出された年なんですね。
(廃刀令というのは、所有を禁じているわけではなく、軍人、警察官以外の帯刀を禁じた法律です。)

映画の中では、明治政府に刃向かうサムライの大将を渡辺謙が演じています。

天皇を敬いながらも明治政府に反逆するわけですが、実際にこの時代、同じような士族による反乱がいくつも起きているです。

九州の佐賀、熊本、福岡、そして山口の萩で連鎖的に反乱が起きていますし、その後西郷隆盛率いる薩摩が起こした西南戦争へと発展するわけですね。
これらはラストサムライの時代設定とおなじ1874年~1877年にかけてのことです。

最初に映画を見たときに、武士だって鉄砲使うのは当たり前だろ…、そんなの信長の時代から。
と思っていたのですが、この反乱を起こした士族たちは実際に鉄砲は使わずに戦ったそうなのです。(西南戦争は別です)

ですから、まあ設定としてはまんざらフィクションばかりでもないわけです。
だから、そのあたりをちらっと匂わせるような部分を作っておくと俄然リアリティさが増したのかもしれません。



日本人の心、武士道の心、日本の自然や文化の美しさをかなり本気で表現しようとしてくれている気持ちが私たち日本人に感じられる映画なので、日本人の評価も高い映画になったのだと思います。

よく言えば、外国人の製作者だけでよくもあそこまで…とは思いますが、せっかくだから、もっと日本人スタッフをたくさん入れて日本人が見ておかしいというところはなるべく排除したら完成度も増したろうに…と残念です。

真田広之がかなりオブザーバー的にアドバイスもしたらしいですが、彼自身が家の縁側でお茶をたてたりしてるし…。


細かいことはいいとして、それでもどうしても気になる点、
第1に渡辺謙演じる勝元(名前かと思っていたら苗字なんですね!)が政府の何に対して反抗しているかが映画ではよくわかりません。
廃刀令だけでなく、俸禄制度の撤廃などで身分を維持できなくなることへの反発である面など、天皇に直接会う場面があるのですからその場で訴えたりすれば結末への導線が出来たように思えるのですが…。

実際には冒頭で列車を襲って民家を焼き討ちしたりしていて、まるで西部劇のならず者です。

そう、乗りがまるで西部劇的なのです。
(ハリウッド映画ですからね…)

彼らが村から町に出てくると町民は恐れ、目を伏せるようなそぶりを見せます。

山から荒くれどもが町に繰り出してきた…
関わりにならないようにしなくては…
というような反応です。
彼らは吉野の里(奈良県?)という山奥の村に住んでいて時々横浜や東京に現れるようです。
馬に乗って…。


勝元たちが暮らす村はインディアンのテントが茅葺の小屋になっただけのような…。

(左利きのトムには右利きで刀や木刀を持つ殺陣は大変だったのではないでしょうか?)

暮らしは質素(粗末)だが精神はすばらしい…

そういう点もダンス・ウィズ・ウルブスとよく似てます。

白人の主人公が最後は一緒になって体制と戦うというあたりも…。

ま、細かくこんなところで、こんなことしないだろ!という部分をあげるとキリがないくらいにあるわけですが、外国人が描いているわけですからある程度は仕方がないし、わかっていても演出の一部となっている部分もあるのでしょう。

基本、エンターテイメントですから!

きっと、イタリア人が作ったマカロニウエスタンなんか、日本人は本場のウエスタンと同じように楽しめますが、アメリカ人から見たら、「あれはないだろ…」というようなシーンもきっと多かったのではないかと思うわけです。

「悔しかったら日本人の手で世界中が感動するような時代劇を作ってみろ!」といわれると、悔し紛れに黒澤を出すしかない現状が寂しいですね…。

今でも日本映画はたくさん作られているのに、観にいきたい映画がほとんどないのはとても残念です…。


役者陣としては、日本人だからかもしれませんが、謙さんの存在感は完全にトム・クルーズを上回っていたと思えます。

あの当時のサムライが英語を話すことには違和感がありますが、通訳入れていたら映画になりませんからね!

謙サンは映画の撮影が始まるまでは英語はほとんど話せなかったということですから、たいしたものです!


真田広之のサムライはとても迫力があり、彼が画面に出てくるといきなり画面が引き締まる感じがしました。
特に殺陣のシーンはさすが!という感じです。
監督も彼を武道家の俳優として一目置いていたようです。

もう少し思慮深い役どころであったらなあ…という思いです。
西部劇に出てくる荒くれ団のなかのちょっと気が短いが腕の立つ勇敢な役ってよくありますよね!
あれです。


大部屋俳優からいきなりハリウッド映画に出てトム・クルーズとツーショットの場面まであった福本清三サンもいい味出していました。

セリフはありませんが、役どころが「寡黙なサムライ」ということですから、それでいいわけで…。

しかし、どのサムライも髷を結う位置が低すぎるのが気になりました。


それから小雪サンですか?

う~ん、いろいろ感じたことはありますが、キレイだからいいです!(笑)

彼女のセリフでひとつだけ、よく言わせたなあ…と思うのが、
トム・クルーズが演じるアメリカの軍人が傷を負って自宅で手当てをしてあげるのですが、少し元気になって一緒に食卓を囲む際、「あの臭い、どうにかならないのかしら…」とトムの体臭を嫌うのです。

白人が作った台本ですからね…。
よく言わせました。

実際、体臭のきつい方多いですからね!


たくさんのエキストラを使った戦闘シーンはさすがにハリウッド映画です。

サムライが全滅するような激しい戦いの中で一緒に戦ったトム・クルーズだけ軽症で済んでいたという点でやはり、トム・クルーズが目立ちたかった、サムライやってみたかったというのがメインの映画だったのだな…と最後にちょっと軽くなってしまいました。


でも、このトム・クルーズの役にはモデルがいたのですね!
フランス人ですが…

前列左から2番目のジュール・ブリュネという人で、江戸幕府のフランス軍事顧問団として来日したのですが、榎本武揚率いる旧幕府軍に参加して箱館戦争(戊辰戦争(1868年 - 1869年))を函館の五稜郭で一緒に戦っているのです。

最後に五稜郭は陥落するわけですが、彼と4人のフランス人仕官らは陥落前に函館港に停泊中のフランス船に逃れています。

どうせなら、このあたりの史実を元に映画にする手もあったのでしょうね!


そういうわけで、久しぶりのラストサムライ、それなりに楽しめました!



昨日の仙台は大変な天気でした。
台風のような嵐で電車は止まるは、道路は冠水するは、雷は落ちるは、停電するはで…
幸い私にはまったく影響はなかったのですが…。

映画 | 投稿者 赤の’57 08:25 | コメント(1)| トラックバック(0)

嘘つき男と泣き虫女



昨日の朝、ふと思い立って広瀬川の土手を約5km、ゆっくり走ってきたら、股関節付近の筋肉にきています…。
まったくなあ…。

今日は朝から嵐のような雨です。
とても走れるような天気ではなく、一日坊主となってしまっています。


さて、今日は本の話。

好きだ、惚れたと熱くなって恋愛したり結婚したりしても、どうしても男と女の間には相手を理解できない部分も多く、深い溝が横たわったままなのはどうしてなのか?

以前、「話を聞かない男、地図が読めない女」を読んで目からうろこが落ちた気がしましたが、その本の続編「嘘つき男と泣き虫女」という本を古本屋で見つけ、読んでみました。

原題は「Why men lie and women cry」。
著者はAllan & Barbara Pease ご夫妻です。

改めて読んでみて、相手を知ることでいらぬトラブルを防ぎ、円満に暮らしていく方法が見つかる気がします。
いえ、決して私とカミさんの間でイザコザが絶えないということではないですよ!
ケンカしたことが一度もないかというとそんなことはありませんけどね!


女は週末の夜中に、眠れないまま悩む。
「どうして男って、ほかの女をいやらしい目つきで見るの?」
「どうして男の人は、女の行動だけでなく、考え方まで指示したがるわけ?」

一方男は男で、ひとり目覚めた静かな週末の朝にこう思うだろう。
「女の話はとりとめがなさ過ぎて困るよ」
「なんで女は小言ばっかり言うんだ?」
「床に靴下が落ちてたっていいじゃないか?日曜の朝っぱらからごちゃごちゃ言わないでほしいよ」

しかし、女がおしゃべりだったり、話しがまわりくどかったり、相手かまわず根掘り葉掘り話しを聞きだしたり、自分からセックスしようと言い出さないのには、科学的な理由がちゃんとある。
男が一度にひとつのことしか出来なかったり、女のショッピングに付き合うのを嫌がったり、人に道を聞けなかったり、トイレットペーパーをだらしなく垂れ下がったままにしたり、いっしょに釣りにでかける親友の私生活をほとんど知らないのも、人間の進化にからんだ生物学的な理由があるのだ。

というわけなのです。
この2冊の本にはそこのことが例を挙げて詳しく書かれています。

なるほど、そういうことだったのね…。と、妙に納得できてしまいます。

文中にはそこここに、くすっと笑えるジョークや格言があります。


女は結婚すると、将来のことを心配しなくなる。

男は結婚したとたん、将来のことが心配になってくる。



女はひとりの男を知れば、すべての男を理解できる。

男はすべての女を知っていても、ひとりの女も理解していない。


たった一個の受精卵を作るのに、どうして精子が400万個も必要なの?

-どの精子も道を聞こうとしないから。



女が服を選ぶとき-天気、季節、流行、目や髪の色、行き先と用事、今日の気分を考慮する。

男が服を選ぶとき-椅子に引っかかったままの服をかいでみて、臭くなければOK。



女が評価するときは、行動1回、贈り物ひとつにつき1点となる。

男の場合は、行動や贈り物の大きさで点数が変わってくる。



男の子と男のちがいは?

持っているおもちゃの価格。



女の究極の夢、それは一度に二人の男に愛されること。

夢の世界で、ひとりは料理を作り、ひとりは掃除をしている。



女にとってユーモアのセンスとは、面白いジョークを言うことではない。

男のジョークに笑ってやることだ。



「年をとって白髪になっても、まだ私を愛してくれる?」

「もちろんさ。それどころか手紙もちゃんと書くよ」



女は相手を気持ちよくさせるために嘘をつき、

男は自分をよく見せるために嘘をつく。


などなど…。
くすっと笑えたところがあったら、そこは共感しているのでは?

「話しを聞かない男、地図が読めない女」は33ヶ国語に翻訳され、発行部数は日本で200万部、全世界で700万部を超えたそうですから、国や人種や習慣が違っても男と女の問題は世界共通なのでしょう…。



このブログを読んでいただいている方の中にも読んだという方が多いのではないでしょうか?

相手を知るというか、男と女では脳の働き方が根本的に違うということを理解し、もうこれは仕方のないこととあきらめて対処していくしかないわけなのです。
お互いに…ね。

直らないことだから、いかに対処すればいいか…
そのこともこの本には書かれています。


ご主人や、奥様に対して「まったく、どうしていつもいつも………」と思っていることがあるようでしたら、この本を一度読んでみることをお勧めします!

結婚前の方もぜひ読んでいただきたい!


でも、この本を読んでいてひとつだけ、気にかかることがあります。

それは男が道に迷っても決して人に道を尋ねられない理由です。
確かに私もそのケがあるのですが…。

この本によると、

男は10万年もの間、獲物を追ってしとめるために空間能力をひたすら伸ばしてきた。
道を見つけ出すことは、男が最も得意とする能力のひとつだ。
逆に言うと、道に迷ったことを認めるのは、自分が敗者だと認めるに等しい。
とくに女がいるときは、道に迷ったと告白するくらいなら、女になじられるほうがましなのだ。

ということです。
よくわかる気がするのですが、
私たち日本人のような農耕民族も同じなのでしょうか?
私たちの祖先も狩りによって空間能力を伸ばした時期があるのですかね?

そこのところがちょっと疑問なわけです…。

そんな私も、迷っても道を聞かなかったですね…。
今はナビがあるので、迷って困ること自体がほとんどなくなりましたが…。


日記 | 投稿者 赤の’57 08:30 | コメント(5)| トラックバック(0)

国宝大崎八幡宮



仙台市内、青葉城の北西の方向にある大崎八幡宮は伊達政宗が建てた建物がそのまま残っており、国宝に指定されているらしい…ということで行ってみました。
先月の話ですが…。

本来はさらに古い神社でもともと大崎という仙台よりも北の地にあったのですが、伊達氏が岩出山から仙台に移った際にこの地に移築されたようです。

私たちサラリーマンに限らず、昔の大名たちにも転勤はあったわけで、功を成して栄転したり、失敗して左遷されたりしているわけです。(左遷の方が多かったようです)

転勤といわず、転封(国替え)と呼ばれたわけですが…。

その際、家族や家臣だけでなく、町民や神社仏閣に至るまで一緒に移動したりしています。

伊達藩も米沢から岩出山に移る際、菩提寺まで一緒に移動しています。
確かに、菩提寺が仲の悪い他の藩の領地になってしまっては墓参りさえ安心してできませんからね…。

というわけでこの大崎八幡宮も大崎の地から移転しているわけですが、現在の社殿は慶長9年(1604年)から慶長12年(1607年)にかけて、豊臣家召抱えの当世随一の巨匠を招き、当時の最高技術で建築されたということです。

政宗が仙台の築城を始めたのが慶長6年ですので、ほとんど城が出来上がるのと同じ時期といえるのでしょう。

400年以上も経った木造建築にしては立派なものです。
外見はそんなに派手には見えませんが…、


屋根の裏側を見ると…

派手好みの伊達政宗らしく、かなり派手です。
平成になって大修理がされているので、創建当時のたいへんきれいな様子を観ることができます。





外からはまったく観ることが出来ませんが、天井や襖絵なども狩野派の一流どころが描いた大変豪華なもののようです。

安土桃山時代の最古の権現造りの建築物ということで昭和27年に国宝に指定されています。

社殿の目の前には長床と呼ばれる建物があります。


社殿に比べるとかなり質素な造りになっています。
創建は社殿と同じ時期だろうと言われています。





社殿の前に、一の鳥居にかけられている表札?が化粧直しを終えてお披露目されていました。

八幡の八の字が鳥の形(雀?)になっています。

デザインは五代伊達吉村公といわれています。
まわりはすべて伊達家の家紋。
伊達家はずいぶんたくさんの家紋を持っています。
このネタで記事をひとつ書こうと思ってるくらいです。


黒漆塗りのシックな神輿も展示されていました。

担ぎ棒には金箔が…。
豪華!!
9月の例大祭の時に担がれるようです。

この写真は境内の一部ですが、例大祭の時にはこの直線路で流鏑馬も行われるそうです。

この流鏑馬をする武者は昔はわざわざ大崎から呼び寄せていたそうです。

(大崎八幡宮のHPより)

また、境内の別の場所で行われる1月14日に行われる松焚祭(ドンド焼き)はかなり盛大で有名だそうです。

(大崎八幡宮のHPより)

9月はもうこちらにいないと思いますので無理でしょうが、1月の松焚祭には行ってみますかね!



みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 08:25 | コメント(2)| トラックバック(0)

MAG スーパーチャージャー



ワーゲン用のスーパーチャージャーというと、ジャドソン社のものが有名ですが、MAG社のスーパーチャージャーというのもあったようです。

上の写真はその広告のようです。
このスーパーチャージャーはカルマンギアの生産が始まった1956年ごろにはすでにあったようです。
(オーバルに搭載された写真があります)

ジャドソン社のスーパーチャージャーと見た目ですぐに違いがわかるのはコンプレッサーの位置ですね!

ジャドソンは元のキャブレターの位置に積み上げるタイプなので、若干ユニットがフードから飛び出るため、専用のスクープをつける必要があります。

MAG社のスーパーチャージャーはちょっと横に本体が位置していて、さらにエアーの吸気も横に持っていっているので、ユニットがフードに干渉していません。


この写真のカルマンは上の図とは吸気の位置が違いますね。

改良型?

下の写真も同じタイプのようです。



こちらは、1957年のAutocar誌でのインプレッションの記事。


イギリスの雑誌のようです。


表を見ても性能がかなりアップしているようです。

この雑誌の写真のカルマンは図と同じタイプを載せているようです。

排気管はオクラサのように4本タイプのものが付いていますね。


MAG社はこの当時だけあった会社ではなく、下の写真のドラッグレース用の車でもおなじみのHEMIエンジンにも搭載されているようです。


日本にMAG社のスーパーチャージャーを付けたワーゲンは生息しているのでしょうか?

見たことあるという方、いらっしゃいますか?



パーツ考察 | 投稿者 赤の’57 07:59 | コメント(6)| トラックバック(1)

今野家住宅



多賀城址からの帰り道、近くに東北歴史博物館があるというので、行ってみました。

行ってみると想像をはるかに超える立派な建物でした。
いったいどんなすごいものが展示されているのだろう…と入ってみると…

あまりお金を払って観てみたいと思えるようなものでもなさそうで…
すぐに出ました。
博物館だけでなく、ホテルのような研修、宿泊施設もあるようで、どれだけ稼動しているのか…

相当な無駄遣いに感じられる施設でした。

まあ、見ないで言ってるので、実際のところは不明ですが…


それよりもずっと面白かったのが、隣接している今野家住宅という施設でした。


宮城県石巻市(旧北上町)にあった江戸時代中期の民家を移築・復元したものだそうです。

手前はチューモンといわれる門と馬屋と倉庫などを兼ねて使う建物、奥にホンヤと呼ばれる母屋があります。



ホンヤは1769年に建てられた建物だそうです。

1769年はあのナポレオンが生まれた年です。
う~ん、ナポレオンと同じ歳の家か…。

(この写真はナポレオンの生家。1階~2階を使っていたそうです)


農家の家屋ですが肝入という、村長のような立場の村の有力者の家だそうで、なかなか立派なものです。
建坪238㎡(72坪)。

白石で見た中級武士の屋敷よりもずっと立派です。


中に入ると囲炉裏に火が入っていて、中はかなり煙っていました。

管理の方が一名、ヒマそうに火の番をしていました。



囲炉裏は一箇所だけでなく、なんと3箇所もありました。
火が入っていたのはその真ん中、ダイドコロにある囲炉裏でした。



間取りは6DK+土間というところでしょうか。
奥の二間のみ畳敷きの座敷で、上級の役人を迎えるときは庭を回り、ウチオロジと呼ばれる縁側から出入りしたそうです。

間取り的には私の父親や母親の実家の建物の間取りも大変似ています。(どちらも農家です)
私が小学校低学年くらいまではまだ土間やかまどがありました。
今はどちらもリフォームして、普通のダイニングキッチンになっていますが…。



畳敷きの座敷も二間続きですが、華美な欄間などはありませんでした。



外には便所や風呂の建物もありました。
この建物は風呂です。

井戸から樋で水を引くようになっています。
そういえば、子供の頃母親の実家に行ったときに、台所の土間にある井戸から風呂場に水を引く樋の跡があったのを思い出しました。

どんなに寒くても、トイレや風呂には外に出て行っていたのでしょうね…。

便所には便器が二つ並んでいたのですが、ひとつは当主専用だったそうです。


今野家住宅を見学して珍しさもあり、懐かしさもありました。
両親の実家は江戸時代に建てられた建物ではなく、おそらく大正や昭和初期の建物だとお思いますが、基本的な間取りなどは江戸時代と変わってなかったのではないかと思われます。

幼い時に触れた両親の実家の間取りや外にある便所などとの記憶がよみがえり、大変懐かしい思いをしました。

この今野家住宅も最近まで民家として使っていたとしたら、絶対にリフォームされていたわけで、実際、復元前の写真を見ると、一部アルミサッシに変えられていたりします。

それらを元に戻して保存するという作業は大変意義のあるものだと思います。

どうせ箱ものにお金を使うのならこういう取り組みにこそ使ってほしいものです。



みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 08:34 | コメント(2)| トラックバック(0)

ナメタガレイ



昨日、ちょっと書いた仙台の光のページェントの話しですが、私はてっきり市や商店街など、大きなスポンサーがいて実施しているのかと思っていたら、ジャズフェスティバルやゴスペルフェスティバルと同様、ボランティアによる実行委員会が運営し、資金は主に寄付金によるものなのでそうです。

すごいですね~。
ボランティア組織であのレベルのイベントを行うなんて…。

漏電騒ぎで、ボランティアの実行委員会のみなさんは自分の仕事もこなす傍らで、復旧に全力をあげているそうです。

予定では20日再開とか…。
実行委員会の皆さん、がんばってください!
なんだか、とても他人事に思えなくなってしまいました。


さて、今年もあと2週間…。
ちょっと気が早いのですが、正月の話です。

こちらの地方では正月にはナメタガレイを食べる習慣があるそうです。

ナメタガレイ、漢字で書くと滑多鰈、でもほんとうの名前はババガレイ(婆婆鰈)というどちらも人をなめたような笑ってしまう名前です。

大きなものは5~60cmにもなるそうです。


子持ちのメスが特においしいそうですが、煮付けにして食べるそうです。

正月が近くなるとこのナメタガレイの相場がどんどん上がるため、今のうちから買っておく方もいるようです。


ところで、カレイとヒラメの違いはすぐにわかりますか?

簡単に覚えられるのは、「ヒダリヒラメのミギガレイ」です。

魚を寝かせたときに、左に頭がくるのがヒラメ、右にくるのがカレイです。(中には例外もあるようですが…)


正月にどんなものを食べるかはその地方の食習慣でずいぶん違うものですね!

関東では正月というと新巻鮭ですね。

でも、私が育った北九州では寒ブリでした。

大家族の家では1本まるごと。
小家族の家は半身のブリを購入して、刺身や煮つけにして食べます。

脂の乗った寒ブリの刺身は絶品です!


正月といえば、雑煮なのですが、この雑煮がまた地方によってというより、家庭によってずいぶん違いがありますよね!

仙台ではどんな雑煮を食べるのかを地元の方に聞いて、驚きました。

これが、仙台で食べるトラディッショナルな雑煮だそうです。


松島湾で昔からよく獲れたのがカレイやハゼということで、雑煮にはそのハゼを使うそうです。

ハゼの焼き干しで出汁を撮り、凍みらせた「ひき菜」、凍み豆腐、からとり(里芋の茎を干したもの)、セリ、はらこ等を入れるのが特徴なんだそうです。

なんだか、豪華な雑煮ですね!
しかし、焼いたハゼやイクラまで入れるなんて…!!


作り方をネットで拾ってみました。

(1) 大根、にんじん、ごぼうを千切りにし,ゆでてザルに取り、野外に一晩おいて凍らせる。(これを「ひき菜」という)※冷凍庫で凍らせても良い。
(2) からとりは小さく、凍み豆腐は短冊に、それぞれ湯で戻す。
(3) 鍋に水とはぜを入れて火にかける。沸騰したところで弱火にし10分煮てから調味する。
(4) (3)にひき菜、凍み豆腐、からとりを加え、味がしみてきたところでなると、はらこを入れ火を止める。
(5) お椀に焼いた切り餅とはぜを盛り、その上に具(“おこう”という)をたっぷりのせ、せりを添えて熱い汁を注ぎ、供す

う~ん、どんな味の雑煮なのでしょう??
ちょっと食べてみたい気がします。


私が育った地方では、丸餅を焼かずにお湯で煮て、やわらかくします。

出汁は甘がらい醤油出汁で、ほとんど具は入れずに食べます。
具に入れるのはせいぜい蒲鉾くらいでした。


餅は大好きなので、正月は3食雑煮になってもいいくらいです。


皆さんのところではどんな雑煮や正月料理を食べるのでしょう?



みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 08:08 | コメント(8)| トラックバック(1)

多賀城遺跡と郡山遺跡



今朝の仙台はよく晴れていますが、とても寒いです。
車は冷凍マグロ状態が続いています。

先日紹介した市内の光のページェントが2~3日前に漏電火災を起こし、消えた状態が続いています。

設置した業者は二度と使ってもらえないのでしょうね…。
随意契約だったら別でしょうが…。

さて、仙台市のすぐ北隣りに多賀城市という市があります。
市とはいっても、とても面積の狭い小さな市です。

多賀城というと、やはりお城がありそうですが、あるんです。
城跡ですが…。

多賀城は伊達政宗が活躍する戦国時代よりもずっと前、大和朝廷が蝦夷(えみし)と呼ぶ反朝廷勢力を制圧するために築いた東北地方の拠点だそうです。

東北地方の政治、軍事的な拠点だったわけです。

創建は724年という事ですから、政宗の時代よりも900年近く前の話しになります。

多賀城跡は、奈良の平城宮跡、九州の大宰府跡と並んで日本の三大史跡の一つになるそうです。

現地はかなり広い範囲の丘陵地帯に遺跡がポツ、ポツと離れて保存されています。

自転車を持っていっててよかったです。
効率よく巡ることができました。



発掘調査はしっかりと行ったようで、埋め戻したあとはどのような配置で建物が建っていたのかを示す案内板が設置されています。


多賀城の中心となる建物、政庁の跡です。


土台の部分だけが復元されています。

どんな建物が建っていたのか、小さな金属製の模型が設置されていました。

写真中央の茶色い部分が模型の手前側の門の土台になります。
向こうに見える白っぽい土台の部分が中心に建っていた建物の土台になります。



こちらは復元模型です。

何度か立て替えられていて、門や建物の形は若干違っていたようです。

とにかく、この地の上を1300年前に奈良時代の人が確かに歩いていたと思うと不思議な感覚になります。


この写真は政庁の方から見た写真なのですが、その当時は多賀城に向かってまっすぐに広い道が伸びていたようです。


この史跡の周りには、入場料を取るような建物や管理者がいるような建物など、何もありません。
一見、ただの公園のようにも見えます。

そういえば、大宰府の跡地もそんな感じでしたね。
原っぱの中に柱の土台だけが並んでいるという…。
太宰府天満宮は観光地としていつ行ってもたいへんな賑わいなのですが…。

そんな落ち着いた雰囲気が逆にリラックスさせてくれました。
私の他には子供づれの夫婦が一組、地元の人らしい犬の散歩をしている人を数人見かけただけでした。

どうしてこの場所に東北地方を治める中心を置いたのか、正直、よく理解できない場所にあります。


ある案内板に、この当時の史跡が、どこにあるのかという図があったのですが、その中で「郡山」という文字にハッとしました。

私が今住んでいる仙台の町が郡山なのです。
福島県にも郡山というところがありますが、そちらではありません。

あれっと思ったのは、近所で発掘調査をしているところがあるのを見たことがあったからです。

調べてみると多賀城が出来る724年以前はここ、郡山に東北地方(陸奥の国)を治める役所があったようなのです。

こんな感じだったようです。


別の日に、発掘調査を行っている現場に行ってみました。

周りはマンションや民家で埋まっているところです。

このあたりはいたるとことでこのような遺跡が出てくるようです。



囲いの外からしばらく見ていたのですが、責任者らしい方(一番右の方)の手が空いたところを見計らって、「郡山遺跡の発掘ですよね?」と声をかけると、「そうですよ!」と気軽に答えてくれました。



その方はきっと大学の教授で発掘している方はその学生さんという感じでした。

「このあたりがかまどの跡なんですよ」などと教えてくれました。

私が見ている前で小さな土器の破片のようなものが出てきていました。

自分が今住んでいるところは奈良時代には大和朝廷の主要な役所が、そして戦国時代にも二目城という城が建っていた歴史的な場所だとわかり、驚いています。

そういえば、近所に古墳がそのまま公園になっているところもあります。

そのうち行ってみることにします。

なんだか、このところ、歴史マニア状態ですね…




みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 08:25 | コメント(2)| トラックバック(0)

東北弾丸ラリー(3日目)



東北弾丸ラリーなんて言っても、行ったきりじゃなくてちゃんと帰ってきているわけですが、ようやく終わりました。

しかし、ラッキーだったのは天候です。
昨日から東北地方の日本海側や北のほうはかなり雪が降っているようで、1日ずれていたら、予定はかなり狂ってしまったと思います。

今朝の仙台は雪こそ積もってはいませんが、気温はマイナス4~5℃で外の車は冷凍マグロ状態です。

昨日は福島県に行っていたのですが、雪が舞っているところはあっても、影響はぜんぜん受けずにすみました。

朝、仙台を出発して、まずは会津若松まで行きました。
会津といえば黒川城(鶴ヶ城)。
行きたかったのですが、近くを通る時間もなく…

次のチャンスに持越しです。
2月の終わりに行くチャンスがありそうです。

で、昼食に食べたのが上の写真の喜多方ラーメン。

喜多方は会津とは約20km離れているのですが、会津市内にも喜多方ラーメンを食べられるお店があったので、喜んで入ったわけです。

もちろん、大盛りで。

喜多方ラーメンは関東でも食べられるので、本場?の喜多方ラーメンは期待以上か、期待を裏切るものか…

結果としては、イメージ以上でも以下でもなかった…という感想でした。

今回、一緒に行動している相方は喜多方の坂内食堂の「肉そば」が断然旨い!と言っていたのですが、残念ながらそこまで行く時間もありませんでした。

坂内食堂も今後の課題です。

そんなわけで、この日も写真さえほとんど撮っていません…。


会津若松は雪はまったくなかったのですが、寒かったですね~。

きっと0℃そこそこしかなかったと思います。

会津の用が終わったあとは、郡山に寄り、その後太平洋側のいわき市へ。

いわき市での用がつつがなく終わり、ようやく今回の東北行脚の目的はほとんど終わりました。


この写真はちょっと高台から見た小名浜港です。

まだ4時台ですが夜になりかけています。
日が短いですね…。


福島マリンパークという水族館にもちょっと立ち寄って見ました。

といっても、外観を見ただけですが…。


この後、仙台に向けてワゴンRを走らせたのですが、磐越道から東北道に入ると、雪模様になってきました。

雪は仙台に入っても降っていました。(積もるほどではありませんでしたが…)

仙台の初雪になるのかな?

雪がはらはら降っているのに空を見上げたら月や星も見えていました。

流星群を待つには寒すぎるので、アパートの部屋に駆け込み、すぐにストーブを付けましたが、部屋が暖まるのにはさすがに時間がかかりました。

この日も結局550kmくらい走りました。

この3日間で1500km以上走破したことになります。

取引先と会っている時以外は常に走っていましたね…。

ミニ観光でもしながらもうちょっとゆっくり廻ってみたかったですね~。
仕事ですから、仕方がないですね!



みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 07:29 | コメント(6)| トラックバック(0)

東北弾丸ラリー(2日目)



東北弾丸ラリーの2日目は秋田県の大曲をスタート。
このあたりは豪雪地帯になるようですが、雪はありましたがまだそれほどでもありませんでした。

1~2日前に降ったかな…という雪が残ってはいましたが、道路には雪はまったくありませんでした。

天気予報では今日は日本海側はかなり雪が降るようですので、昨日は雪の影響を受けずに走ることができ、とてもラッキーでした。

秋田道を東に移動し、北上で東北道に合流、北上し、青森県の下田というところを目指しました。

大曲から下田まで265km。
雪の影響はまったくなく、気温が高いので時折雨がパラつく程度の天気で順調に走行しました。

横手くらいまでは高速の両側の山や田畑は雪が積もっていましたが、峠を越えて盛岡あたりまで雪はまったくなくなりました。

盛岡を過ぎたあたりから雪の積もっているところが出てきました。
途中、岩手山SAで一休み。

岩手山は標高が2000mを超える大きな山で、目立っていましたが、残念ながら山頂まで姿を現すことはなく、写真は撮れずじまいでした。

上下の写真は岩手山SAでの写真です。


昨日はほんとうに走っている時間が多く、はっきりしない天気だったこともあり、写真はぜんぜん撮りませんでした。

下田というところは青森県の太平洋側、八戸のちょっと北にあります。
雪はまったくありませんでした。
大きなショッピングセンターがICの入り口にあり、平日にもかかわらず、大変賑わっていました。

八戸という地名は知っていましたが、このあたりを走ると二戸とか五戸とか九戸とか似た地名がたくさん出てきます。
1から9まで全部あるのかなあ…
だいたい「戸」ってどういう意味?と疑問に思い、ちょっと調べてみました。

すると、このあたりの土地は室町時代以降、南部氏が治めているのですが、南部氏は領地を9つに区切り、それぞれを一戸から九戸と名付けたそうです。
「戸」には「牧場」という意味があるそうです。

現在は一戸、二戸、九戸は岩手県、残りは青森県になります。
ただ四戸は現在、存在しないということです。

そういうことだったのですね。
納得です。


下田で用を済ませるともうお昼過ぎ。
昼食を済ませ、すぐに盛岡に向かいました。

下田から盛岡までは137km。
盛岡で3箇所、用を済ませ、仙台まで戻ってきました。

盛岡から仙台までは185km。

なんだかんだで昨日は620kmほど走りました。
1日目と合わせるとちょうど1000kmです。


仙台には夜7時ごろ着いたのですが、同僚をホテルに送り、アパートに戻る途中、信号待ちで横にカルマンが…

こちらに来て初めて仲間以外のカルマンを見ました。
嬉しかったですね!!

ドラッグ仕様っぽいカルマンでした!
68か69あたりですかね?

追っかけて行きたい衝動に駆られましたが、こちらはワゴンRですからね…。

ずっと一人で運転でしたから疲れていることもあり、そのままウチに帰ったのでした。


さて、明日は東北ラリーの3日目。
会津、郡山、いわき方面に行ってきますよ!

ワゴンRも私も元気です!!



みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 06:46 | コメント(2)| トラックバック(0)

東北弾丸ラリー(1日目)



今、まるで奥の細道を逆周りするようなルートで会社の同僚と二人で東北地方行脚を続けています。
しかも、ワゴンRで。

昨日は仙台を朝出発し、まずは山形へ、その後日本海側の酒田市方面に向かったわけですが、山形道は月山のあたりで一旦高速道路が途切れています。

そのあたりは雪深いというほどまでは行かずとも結構雪が積もっていました。

日本海側は確かに「もう絶対的に冬なワケだからね!」というような意思をしっかり示したいる景色ではありましたが、まだまだ「恐れ入ったか…」というほどの雪の量ではありませんでした。


三川というところで用を済ませ、酒田市をちょうど昼ごろ通過することになり、酒田市といえば酒田ラーメンが有名…ということで、それでは、それではと食べてきました。

行ったお店は「満月」という、酒田ラーメンの中では一番の人気店。(ネット上の話しですが…)


有名店なのですが、お昼の時間帯をちょっとすぎていたため、すんなりと入ることができました。

オーダーしたのは一番人気のワンタンメン、さらに大盛り。
あとで知ったことですが、酒田ラーメンは普通の盛りで1,5倍の麺の量があるのだそうです。

とろけてしまいそうな薄皮のワンタンが売りということなのですが、確かに薄く漂うワンタンはおいしかったです。
さらに量的には2杯食べたようなボリュームでした。


スープは魚介系あっさりスープ。
でもしっかりと味わいがありました。
酒田ラーメンは麺のこしもポイントのようですが、私的にはスープへのこだわりの方が印象的でした。


お店の前には出汁作りにつかっていると思えるサケが干してありました。



山形県の酒田から秋田県の由利本荘というところまでは一般道を走ります。

この間、ずっと鳥海山がイヤでも目に止まります。
ほんとうに目立つ山で富士山のようにどこからでも目印のようにどーんとその姿を現していました。

(鉄塔がじゃまですね~)

山形県から秋田県に入り、象潟(きさかた)というところにある道の駅で一休み。
ここは芭蕉が通った北限ということです。

芭蕉は平泉まで北上したのち、日本海に抜け、酒田のあたりから北上してここまで来て一句詠んでから新潟方面に引き返しています。


冬の日本海は荒々しく荒れ狂っている…というほどでもなく…

それなりに、「冬だから、このくらいは波立たせておきましたが、いかが?」的な様相でした。

その後、秋田市に立ち寄り、大曲まで来ました。
秋田に入るとかなりの雪が積もっていました。

もう暗くなってきたので写真は撮っていません。
この雪はもう春まで融けないそうです。

昨日は一日で宮城県→山形県→秋田県と360kmくらい走りました。

今日は岩手から青森県まで行く予定です。
今日中に仙台まで戻って明日は会津まで行く必要があります。

もう、ラリーでもやっているような強行軍です。

がんばれ!!
ワゴンRと私…。



みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 05:25 | コメント(8)| トラックバック(0)

ロールス・ロイスだってやっちゃいます



東北ネタも実はたくさん貯まっているのですが、なんとなく自動車ネタを続けます。

昨日のブログで普通は超高級車はカスタムされることはないようなことを書きましたが、やはり中にはいるわけで…。

そんなカスタムロールスをネットで拾ってみました。

上の写真は有名なジョン・レノンのロールス・ロイスですね!
サイケデリックな塗装をしているだけですが、当時は相当にひんしゅくを買ったようです。


こんな迷彩色に塗っちゃった人もいます。

軍の正式な車…なわけないですね…。

ま、塗装だけならどうということないわけですが…。



これはある種有名なロールス・ロイスです。

サンダーバードのペネロープが乗っていたロールスを実物大で作ってみましたの図。
子供の頃はこのスタイルをカッコいいと思ってましたね…。
パーカーが好きでした!


はい、ここから本気でおバカやってるロールス・ロイスになります。

狙いはどこなんでしょう?
防弾装備の超VIPカー?
でも、これはきっとロールスをカスタムしたのじゃなくて、フロントだけロールス風にしただけでしょうね。
たぶん、ベースはハマーのH2だと思います。
そういうロールス風の車はビートルを含めてたくさんありますので、これだけにしておきます。


これは、本物のロールス・ロイスでしょう。

アメリカ人のお約束やっちゃいましたね!
とにかくなんにでもV8スーパーチャージャーを積まないと気がすまない民族のようです。


こっちの方向もやはりいました。

レンジローバーでいいでしょ!


これは日本のVIPカーといわれる範疇の車にもよくやられているカスタムですね。

天井に余裕があるガレージじゃないと乗り降り不可です。
雨の日なんか、ドア開けるとあっという間にシートがびっしょりになるんでしょうね!

なに?雨の日に乗るわけない?

まあ…ね。


これも、どういう方向性か…



エステート仕様というこちらは目的がはっきりしたカスタムではありますが…

こちらは品はあるのですが、ロールスらしい高級感が損なわれているような…


やはり、超高級車のカスタムは難しいですね!
という結論でいいのかな…。



今日はこれから、2泊3日で東北6県、行脚の旅に出かけてきます。

雪、降るなよ!!


車(カルマン以外) | 投稿者 赤の’57 07:03 | コメント(2)| トラックバック(0)

やりすぎでしょ…



昔から車好きといわれる人たちは自分の車を買ったまま乗ることはなく、いかに自分なりにモディファイして個性を出すことに精を出すというのが普通です。(完成度の高い超高級車は別として…)

つるしのままなるなんて、車好きにはあり得ないことですよね!

車好きの方なら新車を購入しても、まず必ずどこかいじりますからね!
ホイールを替えたり、ステアリングを替えたり、シートを替えたり…

ことさらワーゲンはカスタムできる幅が広かったためか、さまざまなカスタムがされてきました。

そういうわけで、現在残るワーゲンでオジリナル状態が保たれている車両は結構少ないわけで、今、趣味で古いワーゲンを所有している方の方向性は大きく二極化しているようです。

自分なりのカスタム化を進めていくか…
極力オリジナルの方向に持っていくか…

オリジナル状態のワーゲンが珍重されてきているということはヴィンテージカーとしての価値が出てきていることの証しかもしれません。


前置きが長くなりましたが、今日はカスタムされたカルマンの紹介です。

しかも、カスタムしすぎてどうかするとカルマンに見えないカルマンの紹介です。
以前、一度紹介した写真も含まれています。


一番上の白黒の写真はかなり古いもののようですが、やってますねえ…。

ヘッドライトはメルセデスのもののようです。(SL用?)
何から流用したかわかりませんが、大きなグリルも付けられ、パッと見、カルマンには見えなくなってしまいました。

オーナーはこれで満足だったのですかねえ…
バランスの悪い顔になってしまいました。


次の写真のカルマンはそんなにいじってないように見えますが…

よく見ると、結構ボディをいじっているようです。
まあ、この程度なら一見してカルマンとわかりますね!


この写真の車もカルマンのようですが…

ナンなのでしょう…
意味不明です…。


次は縦目4灯のカルマン。

う~ん…


ポルシェのヘッドライトを付けたカルマン。

これはかなり力作でうまくまとまっていると思いますが…
こんなことにお金かけるくらいならポルシェ買えばいいのに…
なんて、夢のないこと言っちゃダメですかね?


ロールス風?(でも四角の縦目ってないですよね)

丸いボディラインが魅力のカルマンなのですけどね~。


コブラ風?

顔も不自然ですがリアのフェンダーラインも不自然ですね…。

う~ん、やっぱりちょっとやりすぎかな?



カルマンギア全般 | 投稿者 赤の’57 07:06 | コメント(4)| トラックバック(0)

本物はどっち?



このところ、東北各地の紹介記事が多く、カルマンネタが少なすぎるとのご指摘をいただき、それもそうだと久しぶりのカルマン変態ネタです。

どうも手元にカルマンがないと意識が遠ざかってしまいますね…。

上の写真のように、今年のミーティングで作ったポスターは壁に飾って毎日見ているのですけどね…。


さて、今日はカルマンのパーツのオリジナルのものとリプロとの比較です。


まずは、右側のフロントフェンダーのメダリオンです。

これは角テール用のメダリオンです。
真ん中のギア社の紋章に耳が付いているのが特徴です。
英語ではCAT EARというようです。
そのギア社の紋章の縦横比が結構違いますね!
下のちょっと細長く見えるほうがオリジナルのようです。


アップにすると細かい縦線が入っているのがわかります。
最初のGの文字のくるっとしたところもリプロのものは小さいですね。

裏を見ると、


オリジナルにはこんな刻印が入っているようです。


これ、何のマークなんでしょう?
VWマークじゃないのですね!

メダリオンは実物を手にして比べると、厚み、重さ、質感などもっと違いが歴然とわかるのではないでしょうか?


こちらはリアのエンジンフードに付くスクリプトのオリジナルとリプロ。


上がオリジナルで、下がリプロのようです。
一見しただけではわかりませんが、下の写真のようにアップで比べてみると、クオリティの差ははっきりしてますね。



この写真は師匠が見せてくれたリプロのスクリプトです。

写真が不鮮明ですが、Nに下からくっつく部分に段差があるので、わかりやすいです。


こちらはグローブボックスの蓋の裏側に貼ってあるステッカーのオリジナルとリプロです。


これはよく出来ていますね。
まあ、印刷ですからコピーすればいいだけですからね!

内容はリザーブレバーの位置に関してとタイヤの空圧に関する説明です。
英語バージョンとドイツ語バージョンがあります。
今、日本では手に入らないものです。

下の写真は私のカルマンのものです。

塗り替えられていますからもちろんリプロです。(英語だし…)
このシールがオリジナルで残っているということはそこの塗装もオリジナルなわけですね!


この写真はラジオのスピーカーグリルなのですが、一番左がオリジナルで、残りはリプロだそうです。

これは実物を比べて見ないと写真だけではぜんぜんわかりませんね!

このグリル、ボディと同色が正しいようです。


オリジナルだ、リプロだと拘る気持ちもわかるし、拘らない気持ちもわかりますが、リプロが存在していること自体がとてもいいことですよね!

さすがはVWのパーツです。

日本車の旧車でこういったパーツのリプロなんてまず存在しないでしょうから…。

リプロじゃなくても、5ナンバーなのに240Zのエンブレム付けていたり、ベンツのエンブレムを大排気量バージョンに付け直しているのなんか、恥ずかしいですね!


パーツ考察 | 投稿者 赤の’57 07:05 | コメント(6)| トラックバック(0)

南部鉄瓶



12月に入っても比較的暖かい日が続いていたのですが、この2~3日はさすがに寒さが増してきました。

仙台の昨日の最低気温は0.9℃でした。
宮城県内は氷点下のところも多かったようです。

頂き物の火鉢のような形のストーブも本気で稼動開始というところです。

点火したときも消したときも石油ストーブらしくとても臭うのですが、一旦点くとエアコンのもわっと温かい風が来るよりも部屋全体が温まる感じがして、こちらのほうを好んで使っています。

ニッセンもアラジンもほとんど臭わないんですけどね~…。

乾燥防止と、いつでもお湯があるという一石二鳥でやかんをかけていましたが、この形のストーブだとどうしても鉄瓶を置きたいなあ…ということで、入手しちゃいました。

鉄分まで補給でき、お湯もまろやかになってコーヒーもお茶もおいしくなるというし…。
一石四鳥だ…ということで。


南部鉄瓶といいたいところですが、なんちゃって南部鉄瓶というところかな…。

なんせ本物はかなりの値段ですから…。
やかんの大きさになると普通のもので2~5諭吉。
職人が作った高級品は30諭吉もするものもあります。



大きさやデザインはほぼ、求めていたものが手に入りました。

南部鉄瓶も調べてみると奥深いですね~。

あまり、なにも考えずにこのストーブだったら「鉄瓶なんか似合いそう…」と思って手に入れ、試しに一度沸かして次の朝、中を見るともう錆が出ていて…

そこできちんと調べてみていろいろわかったのでした。

鉄だから錆びるのは当たり前だけど、きちんと使えば錆びない…
錆びないというか錆びても大丈夫な錆に覆われるようで…

本物は製造工程で備長炭で焼入れをして酸化皮膜を作るため錆びにくく、使い込むうちに白い湯垢がつくとさらに錆びにくくなり、それが理想的な状態なのだそうです。


使用する上で大事なこと
・内側をこすって洗わないこと。(手で触れるだけもダメ)
・お湯を沸かしあとそのまま鉄瓶の中でお湯を冷まさないこと。(このときに一番錆びやすい)
・お湯を他の入れ物に移したらふたを開けて余熱で中を乾かす。もしくはほんの少しカラ炊きして中を乾燥させる。

そしてなるべく毎日使うと、どんどん中がいい状態になってお湯がおいしく、そして鉄分も補給できるようになるということなのです。

もしも内側が錆びたり金気臭くなった場合はお茶殻を煮込むとタンニンが鉄と絡んで黒いタンニン鉄となり、問題なくなるそうです。

まるで、サビチェンジャーですね!
サビチェンジャーの中身は実はタンニン?

中がどんなに錆びたように見えていても沸かしたお湯が透明で金気臭くなければまったく問題ないというか、逆に大変いい状態だということなんです。

ね、ちょっとじっくり付き合ってみたいと思いません?


本物の鉄瓶を手に入れて何年も使い続けるのもいいなあ…と思う今日この頃です。

高級な南部鉄瓶は柄の部分の中は空洞になっているので熱くならず、お湯が沸騰しているような状態でも素手で持てるそうです。
そして、肉厚が薄いので軽い。
錆びにくいし、湯垢が付きやすく、お湯がまろやかになるということです。

アラジンやニッセンのストーブに乗せてもそれなりに似合いますかね?

千葉の自宅には和のテイストのものはあまり置かないようにしているのですが、南部鉄瓶は別格かも…。

でもそんなちゃんとした鉄瓶は5諭吉以上しています。
最高級品の10諭吉以上するものは砂鉄を原料に使っていて、ひとつの型から1個しか出来ないくらい手の込んだデザインになっているそうです。

「倉庫にいらない鉄瓶があるよ」という方、いらっしゃいませんか?
喜んで引き取りますよ!(笑)


ちなみに、鉄瓶の正面は注ぎ口が右側にしたときの面だそうです。
右手で持って注ぐので、どうしても逆に置いた状態になりますね。

でも、商品の写真は正面からの写真にしてほしいものですね!

よく見ると、伝統あるお店の商品の写真は必ず注ぎ口を右にして写真を撮っていますね。

ちゃんとした南部鉄瓶は漆を塗って焼き入れしているのですが、安いものは何もしていないか、ホーロー加工のようです。

私の鉄瓶は当然後者なわけです。

ストーブの上で「チン、チン、チン」とお湯が沸くかと思ったら、コーっという音で沸いています。

と書いていいるうちにお湯が沸きました。

さ、コーヒーを淹れましょう!



さて、イトヤンさん、無事、到着したようです!


ありがとうございました!
年末に帰ったら携帯に取り付けますね!!



石油ストーブ | 投稿者 赤の’57 07:08 | コメント(6)| トラックバック(0)

仙台光のページェント



今、仙台では「光のページェント」というイルミネーションがとても綺麗らしい…ということで、仕事帰りに単身赴任同士の上司と行ってきました。

場所はジャズフェスティバルが行われる勾当台公園と定禅寺通りというところです。

今年で25年目になるとか…。
そういえば、昨日はジョン・レノンの30回目の命日だったんですよね…。
生きていたら70歳です。
どんな活動をしていたでしょうね…。

この写真が光のページェントの始まりのところです。


55万個使われているという電球は今年からすべてがLEDになったそうです。

最近は青や白っぽいLEDのイルミネーションが多く、それはそれできれいですが、オレンジ色の温かみがある色もいいですね!



6時、7時、8時の3回、1分くらいイルミネーションが消えて、再び点きます。
スターライトウインクというそうなのですが、恋人たちはその暗くなった時にキスをするそうで…

ま、そんなことはいいとして、
一旦暗くなったのが、ワッと一斉に点灯される瞬間はなかなか見ものではあります。



こんな電飾カーも走っていました。

ページェントカーというそうで、サンタが運転しています。
希望者は助手席に乗って走れるそうですが、選考基準があるそうです。



道路の中央分離帯の並木道を歩くと、ほんとうにきれいでした。

この日の結論は…、

「こんなところ、おっさん二人で来るところじゃないね…」

というものでした。






というわけで、近くのサイゼリアに入って、二人でワインのマグナム(1500ml)をサクっとあけて帰ったのでした。



みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 08:40 | コメント(4)| トラックバック(0)

片倉家中武家屋敷



白石城の北側の静かな住宅街の一画に武家屋敷が残っていて公開されているというので行ってみました。



沢端川という川に面していますが、この川は白石城の三の丸外堀にあたるそうです。

この一帯は片倉家に仕える中級武士の屋敷が並んでいたそうです。



この屋敷は片倉家の家臣、小関家の屋敷で、享保5年(1730年)に建てられた屋敷だということが平成3年に解体修復された時にわかったそうです。

玄関はなく、入り口から入るとすぐ土間で、農家の住宅の設計が基になっていて、武家住宅としての体裁が整うまでの過渡期的な体裁だということです。



住人は土間から出入りしていましたが、位の高い人が訪問した場合は右にあるくぐり戸から入り、直接奥の座敷に上がっていたそうです。



居間に当たる部屋には囲炉裏があり、主人が座るところ(一人の席のところ)からは小さな引き戸を開けておくと門のほうから入ってきた人を確認できるような位置になっていました。



「なかま」と呼ばれる奥の座敷。
畳と天井のある部屋はここだけで、あとは茶の間となんどと台所がある土間だけ。
とても簡素な造りです。







この柱と柱の間に梁を渡す技法は「鳥居建」というそうです。


茶の間にある縁側です。


裏庭の川に面している部分に階段がありました。

きっと、ここで野菜や食器を洗ったりしていたのでしょうね。


白石市内にはこのような昔ながらのお店も残っていました。


一応、商売もしているような雰囲気でした。



みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 10:37 | コメント(4)| トラックバック(0)

白石城



伊達政宗にゆかりの深い城、白石城に行った時の話です。

白石(しろいし)城、別名益岡城は宮城県の南部、福島県との県境近くにあります。
寛治2年(1088)の後三年の役のあとに刈田氏がここに築城したのが始まりといわれています。

刈田氏はその後伊達氏の家臣になり、このあたりは伊達氏の支配下だったのですが、世は戦国時代、当時の関白秀吉の命により没収され、蒲生氏に与えられました。

その後、米沢と共に上杉領とされ、政宗は米沢から岩手山に拠点を移すわけですが、関が原の合戦の直前にこの城を攻め、伊達領として奪還します。

そして白石城は伊達政宗の右腕とも言える家臣、片倉小十郎に与え、明治まで片倉家が治めていました。

家康による一国一城令以降もこの白石城は仙台城とともに城として特別に認められていました。

幕末の戊辰戦争の時にも東北諸藩の代表がこの城に集まって会議をしており、重要な役目を果たしています。

しかし明治維新により廃城となり、片倉家は城を明け渡し、多くの人が北海道の登別市や札幌市に移住しています。
登別には片倉町があり、札幌には白石区という地名が残っているのはその名残りです。

岩出山の伊達家も北海道に移住し、苦労して開拓をしているわけで、伊達一門の子孫の方は今でもたくさん北海道にいらっしゃるのでしょうね。

と、そんな予備知識を持って白石城を訪ねてみましょう。

現在の白石城は1995年に天守閣と大手門が復元されています。(当時は幕府への遠慮から天守閣とは呼ばず、大櫓と詠んでいたようですが)



行ったときは、まだ紅葉がきれいな時期でした。



この城の復元の凄いところは、日本古来の材料と建築様式で、昔のままに復元していることです。
石垣から組み直して復元しています。

建築基準法上、木造建築でこの高さの建物は本来建築できないそうです。



写真ではわかりにくいですが、石垣も野面積みという石の形をそのまま使って積み上げたもので復元されています。

石垣の上の天守閣の出っ張っている部分は、石落としといって石垣を登ってくる敵に中から石を落として攻撃するためのものです。

四角い穴は狭間という、弓や鉄砲を撃つためのものです。

自動販売機で300円の入場料を払って本丸に入りました。

こちらは大手二ノ御門。

復元にあたり、直径120cmの樹齢1000年にもなる檜を使っているそうです。

大手二ノ御門と天守閣のツーショット。


鐘堂です。
天守のすぐ脇に建てられています。


非常時に鳴らす以外は、毎年七月の城回りの土手と堀の清掃の時にこの鐘を鳴らしていたということです。
朝八時に七つ撞いて仕事を始め、九時に五つ、十時に三つで終わる、というような合図に使われていたそうな。
侍と城下にいる足軽、その他扶持を受けている者が総出で堀払いをしたそうです。


靴を脱いで、天守の中に入ると、片倉小十郎の具足が展示されていました。

係りの人に聞いたら、やはりレプリカでした。
本物は仙台の博物館にあるというのでそのうち拝見できるでしょう。(きっと撮影は不可でしょうが…)

後ろにある鐘の形の旗印は政宗の乳母で小十郎の姉でもある喜多が送ったものです。
この鐘の紋は現在の白石市の紋章にも受け継がれています。


復元されてから15年経つわけですが、建物の中はヒノキやヒバのとてもいい香りで満たされていました。

派手に飾り付けたり、展示物を置いていないのが却って好感持てます。

上の階に通じる階段はお城らしく、大変急なものです。

こういうところもきちんと昔の設計のまま、作られています。

最上部からの眺め。
遠くに蔵王連邦が見えます。


大手門の向こうに城下町が見えます。

瓦も当然ながら1枚1枚土から手作りされているわけです。
43000枚も使われているそうです。

天守閣最上部の内部です。

非常灯やスプリンクラー以外はほんとうに昔のままという感じです。

天守閣の屋根裏部分。

大きなお札も置かれていました。

梁には松本城で見たのと同じようなノミの痕が残っていました。


毛筆で書かれたどこに使うものかの目印のようです。


天守以外の御殿があった部分は益岡公園になっています。

このあたりは、昔は建物がびっしり建っていたようです。

片倉小十郎の大きな碑が公園の中心部に建っています。

片岡家は代々小十郎という名前を藩主が受け継いでいます。
初代小十郎景綱から始まり十一代小十郎邦憲で明治を迎えています。


城の隣りに建つミュージアムに模型がありました。

どうせなら、ここまで完璧に復元してほしいなあ…

立体映画などもやっていましたが、時間がなく観ませんでした。

でも、この白石城、予想以上に見ごたえがありました。
お城好きの方にはお勧めです。


城下町も昔の名残りが残っている場所があり、武家屋敷が保存されているというので行ってみました。



みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 07:39 | コメント(2)| トラックバック(0)

ウヰスキーのいろいろ


(余市で実際に使われていたポットスチルだそうです。現在のものに比べると大変小さなものです)

ニッカウヰスキー宮城峡蒸留所を見学して勉強したことをちょっとまとめます。

当然、ウイスキーの世界も大変奥深いもので、研究し始めたらキリがないのでしょうね!

初級編でも恥ずかしながら、きとんと知らないことだらけでした。

まずニッカウヰスキーの社名の由来。
サントリーの名前の由来は有名ですが、ニッカは正直知りませんでした。

ニッカウヰスキーは竹鶴政孝氏が1934年に創業したことは前回書きましたが、創業を始めてもウヰスキーは熟成するのに数年必要となりますからすぐに出荷できないわけですね。(最初の出荷は1940年です)

その間、竹鶴氏は余市のりんごを使って果汁100%のりんごジュースを造って販売したそうです。
その時の会社名は大日本果汁、商品名が日果林檎ジュースだったのです。

大日本果汁→日果→ニッカとなったわけです。

ご存知でした?


で、次にウイスキーの種類に関してですが、
材料でモルトウイスキーとグレーンウイスキーに分かれます。

モルトウイスキーの原料は大麦麦芽のみ、
グレーンウイスキーはとうもろこしと麦芽を混ぜて作ります。
おおよそ5:1だそうです。

蒸留の仕方も違いますし、グレーンウイスキーは基本的にブレンドされるために作られるウイスキーで、シングルグレーンとして単独で販売されることはほとんどないようです…があるにはあるようです。

シングルグレーンウイスキーの例

ノースオブスコットランド36年1973 ダンカンテイラー セレブレーション オブ ザ カスク 58.9°


で、モルトウイスキーですが、蒸留所の違い、材料の違い、樽の違い、熟成の長さなどでいろいろなウイスキーが出来るわけで、厳密に言えば樽ごとに違うウイスキーがあるわけです。

シングルカスクウイスキーというのはひとつの樽から取り出したウイスキーそのものだというのです。

ですから、1本1本、味やアルコール度数まで微妙に違うようで、ラベルには樽(カスク)のナンバーなど細かいことが書かれています。

まあ、ほんとの原酒になりますね!
アルコール度数も50~60度前後と高めのものも多いようです。


次にシングルモルトウイスキーですが、ひとつの蒸留所で作られたモルトウイスキーのことをそう呼びます。

ですから、ラベルには必ず蒸留所名が書かれているのではないでしょうか?

地域の特性が出ているのでしょうね。


それからピュアモルトウイスキーですが、複数の蒸留所のモルトウイスキーだけを混ぜたウイスキーのことだそうです。
ヴァッテッドモルトウイスキーともいわれるそうです。

(単に大麦100%のウイスキーをピュアモルトと呼ぶ場合もあるようです。そういう意味で使う場合はシングルモルトもヴァッテッドモルトもどちらもピュアモルトになります)


で、複数のモルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドしたウイスキーがブレンデッドウイスキーということになります。

ブレンダーといわれる人が何種類ものモルトウイスキーやグレーンウイスキーをブレンドしていろいろな味のウイスキーを作り出すわけですね。

ウイスキーは同じ日に蒸留し、同じような樽に詰め、同じ貯蔵庫、しかも隣同士で熟成させてもまったく同じに仕上がるわけではないわけで、同じブランドの同じ味のウイスキーを作るのにブレンダーは苦労するわけです。

バランタインの30年ものなんて、32種類のモルトウイスキーと5種類のグレーンウイスキーをブレンドするそうです。

おいしいわけだ…。



世界の5大ウイスキーというのがあるのですが、それは、

スコッチウイスキー
アイリッシュウイスキー
アメリカンウイスキー
カナディアンウイスキー
そして、
ジャパニーズウイスキー

なんだそうです。

プレミアムウイスキーという言葉もありますが、ちゃんとした定義はないようですね。

私の中で勝手に思っているプレミアムウイスキーは12年以上のものです。

やはり、熟成が進むほどまろやかでコクのある味わいになりますよね。

まだハタチそこそこの頃、21年ものを初めて飲んだときに目からうろこが取れた強烈な印象は今でも覚えています。

とにかくウイスキーの世界も奥深いです。


…ということでよろしいでしょうか?
信州1959さん!



お酒 | 投稿者 赤の’57 08:02 | コメント(8)| トラックバック(0)

ニッカ宮城峡蒸留所



昨日、おとといと日本中ものすごい強風だったようですね。
こちらも2日続けて半端ない風でした。
おかげで東北新幹線が八戸~青森間が開通して全線開通した最初の日にダイヤはズタズタにされたようです。

地元じゃなかった身としては、「まだ全線開通していなかったんだ~!!」というのが正直な感想です。

さて、仙台の単身赴任も3ヶ月が過ぎました。
この間でワゴンRの走行距離は1万キロを超えました。
スタッドレスタイヤを履いて準備万端ですが、まだ雪は降りません。

でも、路線バスもすでにスタッドレスタイヤを履いていますので、それは時間の問題なのでしょう。

仕事が休みの日、掃除洗濯が終わると一人では何もすることがないので、ちょっとそこいら辺に出かけたりしているのですが、11月のある日、ニッカ宮城峡蒸留所というところに行ってみました。

ここも山のほうにあり、雪が降ると行きにくくなりそうなので、今のうち…ということで。

午後の遅い時間、どんなところなのか、まったく知らずにとりあえず行ってみた…という感じだったのですが、予想以上に長居してしまいました。

というのも、無料の見学ツアーに参加したからなのです。

後でわかったことですが、日本全国にニッカウヰスキーの工場は7箇所あるのですが、見学可能な工場は北海道の余市蒸留所と、この宮城峡蒸留所の2箇所だけなのです。

私が行ったとき、15:30からのその日の最後の見学ツアーにちょうど間に合ったのです。

ガイドのお姉さんがきちんと案内してくれました。

緊張してボケてますが…。
左の写真のおじさんはニッカウヰスキーを創業した竹鶴政孝氏です。

竹鶴政孝氏が余市に初めて蒸留所を作ったのが1934年(昭和9年)、そしてこの宮城峡蒸留所を作ったのが1969年(昭和44年)なのだそうです。

違った環境で原酒を造ることにより、よりブレンドの幅も広がるわけですね!

ニッカの最高峰のウイスキーの名前が「竹鶴」という名前の理由がわかりました。

見学ツアーに参加したのは私以外は横浜から来たというおばさん4人組。
おばさんが4人集まると、まあしゃべる、しゃべる…。

ま、それはいいとして、


最初に連れて行ってくれたのが、キルン塔。

キルン塔ではピートを燃やし、麦芽を乾燥させる行程を行うところだそうです。

ピートって、聞いたことはあってもよく知りませんよね!

ガイドのお嬢さんが持っているのがピートです。


ピートは日本語で泥炭。
ヨシ、スゲなどの水辺植物が堆積し炭化した、まあ天然の炭のようなものなのですね。
炭化するのに100年はかかるそうです。

このピートを使って乾燥させることでウイスキーの独特の香りがつくそうです。
使用するピートの産地により、香りの個性が出てくるわけですね。
ピートを使わないウイスキーもあるようですが、ニッカはここに拘っているようです。



実際、手にしてみると思ったよりも軽く、ほのかに香りがしました。


次の工程は仕込み。
ここでは糖化釜で作られた麦汁に酵母を加え醗酵させてアルコールに変える工程を行うそうです。


ここまでの工程はビール造りとそう大きな差はないそうです。


次の工程で、ウイスキーになっていくのですね。
つまり、蒸留作業です。
醗酵液を加熱し、アルコールを取り出す工程です。

この大きなポットスチルと呼ばれるものは余市のものと宮城峡のものでは形が違うということです。
この形の違いでも味にずいぶん違いが出るそうです。

この建物の中は特に独特の匂いが漂っていました。
(まだ、ウイスキーの匂いというほどでもありませんが)

ポットスチルの上のほうにはしめ縄が飾られていました。
これは竹鶴政孝の実家が造り酒屋だったので、その習慣からということです。


蒸留されたウイスキーの元は樽に入れられ、貯蔵庫で永い眠りにつきます。


ウイスキーの味には、この樽の種類や貯蔵する環境によってもずいぶん変わるそうです。

年が経つほどに熟成される状態を実感できるよう、樽から直接匂いをかがせてくれ、素人にもその熟成度がよくわかりました。


見学の最後は試飲とお土産の建物になるわけですが、私は残念ながら車なので試飲は出来ず、オレンジジュースなど飲んでました。(ほんとに残念…)

ショップの一部で歴代のニッカウヰスキーが展示されていました。

長い年月で、瓶からだいぶ中身が蒸発しています。

貯蔵中の樽の中でもかなり減るようですね。

ここでしか買えない原酒が販売されていましたが、そんなつもりがないのでお金をほとんど持ち合わせていなく、ま、地元の強みでその気になればいつでも行けるぞと何も買えなくても平気でした。

でも、原酒はかなり高いですね!!
やっぱ、買えないか?

これも、ご当地ウイスキーですね!



おかげでモルトウイスキーとグレーンウイスキーの違い、
シングルカスクウイスキー、シングルモルトウイスキー、ピュアモルトウイスキーの違いもわかりました。


ウイスキー好きな皆さん、いつでもご案内しますよ!



みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 07:24 | コメント(4)| トラックバック(0)

城跡は刑務所



カルマン仲間が東京から仙台に向かって驀進中の時、待つ身の私は天気がいいので、自転車で近くの城跡見学に行ってきました。

若林城の城跡です。
仙台市若林区にその城跡はあるのですが、若林区の名前はこの若林城から来ているのだそうです。

若林城は伊達政宗が1628年、61歳の時に築城し、晩年好んで住んだ城です。

晩年は仙台城(青葉城)は忠宗にまかせ、正月などの行事の時くらいにしか行かなかったということです。

しかし、1636年に政宗が死去するとすぐに廃城となったようです。(江戸の屋敷で亡くなっています)

ということはわずか8年間だけということになります。

城下には仙台城下とは別に城下町が形作られたそうで、近くを通ると、わずかに痕跡があります。

日本全国の城跡の多くは公園、役所、学校、軍隊などに使用されていますが、若林城跡は刑務所として利用されています。

城郭の敷地がそのまま刑務所になっているような感じです。

上の写真も下の写真も木立の向こうは土塁の上がレンガ造りの高い塀になっていて、手前は堀であったろうことがうかがえます。



場所によってはコンクリートの塀になっていて、小学校が隣接していました。

このあたりの住所は若林区古城と、そのままの地名が残っています。

小学校の名前も古城小学校です。


さすがに、この塀の内側に入って見学することはできません…。
入ってみたくもないですが…。



表のほうにまわると、刑務所の門や建物がありました。

若林城跡とかの碑でもあるかと思いましたが、少なくとも誰もが見られる場所にはなさそうです。



最近ニュースで話題になった、初めて裁判員裁判での死刑判決を受けた被告はここに収監されているようです。


出所者の出迎えに関する注意書が…

ま、ごく当たり前のことが書かれています。


この写真のあたりもほんの少し、昔を忍ばせるような雰囲気です。


見学するのはいいけど、ここにご厄介になることはないよう、心に誓っていると、カルマン仲間の皆さんが近くまで来ているという電話があり、ウチに戻ったのでした。



若林城とは関係ないのですが、帰りに見かけた家です。

どうして、こんなにパラボラアンテナが必要なんでしょ…?



みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 07:20 | コメント(0)| トラックバック(0)

塗装完了



11月の初旬に始めた家の屋根と外壁、ガレージ周りの塗装ですが、とっくに終わっているそうです。

足場が取られて全貌が明らかに…。

微妙な色なので携帯の画像ではどうしても本当の色は出ないようですが、まあ、こんな感じ。

ぽるさんのアドバイスもあり、雨どい、サッシ、屋根周りの点検もしてもらい、これで10年、15年は安心ということになりました。

塗装が新しいと雨をはじくそうで、シャワーの水をはじかなくなってしまった二人ともとしては若返りが出来てうらやましい限りです。(えっ?わたしだけ?)



入居時、ガレージの中はコンクリートの打ちっぱなしだったのですが、ここも塗ってもらいました。

床だけは自分で塗装したのですが、壁や天井となると、なかなか塗ろうというモチベーションも沸きませんでした。



写真では白く見えますが、一応クリーム色だそうです。


この写真が塗装前の状態です。


打ちっぱなしはそれはそれでいいのでしょうが、ウチのガレージの場合、面によって結構色が違うし、板のケバが残っていたりしていて、あまり見栄えがいいものではなかったのです。

おかげで、ずいぶん明るくなったそうです。

実際に見られるのは年末に帰ったときかな。



家・ガレージ | 投稿者 赤の’57 08:42 | コメント(6)| トラックバック(0)

カル飲み仙台編(その4)



12月に入りましたが、仙台は昨日、今日ととても暖かいです。
ウチにいても暖房必要ありません。

さて、ダラダラ続けているカル飲み仙台編ですが、今日で最後まで行こうと思います。

上の写真は松島で止めた駐車場。
向こうの杉並木は瑞巌寺の境内になります。

このあたり、たくさん駐車場がありますが、だいたい1時間300円くらい。
ところが無料の駐車場がある場所にあることを後で知り、う~ん残念…でした。


五大堂の見学を終わった頃、時刻はもうお昼近くになっていたので、昼食をとることにしました。

昼食は、かねてからここにしようと決めていました。
ここも仙台通のメンバーが教えてくれたところです。


塩釜で海の幸を満喫という手もあったのですが、この季節、松島のここで牡蠣の食べ放題があるということで。

牡蠣ハウスという専門の別棟が出来ています。

すでに30分待ちということで、隣接するさかな市場をウォッチングして時間を潰しました。

生牡蠣を1個200円でその場で食べられるというのがありましたが、生唾飲んでガマン…。



さて、時間になり、ひとつのテーブルをわれわれ6名とカップル1組で囲み、牡蠣が焼きあがるのを待ちます。

鉄板からはすでにすごい熱気が上がっていて、この時点で私はTシャツ1枚に紙エプロンという戦闘体勢です。



待つこと十数分で焼きあがります。

おおよそこの量で1人前くらい?


片っ端から食べていくと、大きなスコップでガサッとどんどん追加してくれます。

制限時間は45分。
2000円の元を取るのには20個以上食べないとだね…
なんて話していましたが、軽くノルマは達成しましたね!



大きなの、小さいの、一つの固まりに3個くらい付いているもの、いろいろですが、とにかく黙々と食べ続けます。

何もつけずに、牡蠣のみを食べ続けるのですが、後で考えたら、醤油とか、レモンとか、ケチャップとか、タバスコとか、ちょっとした調味料があったらよりおいしく食べられたのかも…。

でも、塩味だけでも充分楽しめたのでした。



45分間、時間ぎりぎりまで食べ続けて戦闘終了…。



これが二人分の食べかすです。



5年分くらいの牡蠣を45分で食べきったあと、瑞巌寺へ向かいました。

ここはその入り口です。
松島湾の遊覧船の乗り場の目の前にあります。
松島の観光スポットはとてもコンパクトにまとまっていますので、一旦駐車場に車を止めるとあとは歩きでほとんどのところに行くことができます。




門を入って右手に進むとこのような洞窟群があります。
昔は納骨や供養などに使われていたそうです。

松島は昔は霊場、修行の場としてとても神聖な場所だったそうです。

参道は杉並木や紅葉がとてもきれいでした。


ところが瑞巌寺の本堂は改修工事中で今、見学することはできない(平成27年までかかるそうです。)…ということで、有料のところには入らず、福浦島に行くことに。

長い橋を歩いて渡って行きます。
この橋がすかし橋だったら、きっと全員で行くことにはならなかったでしょう…。
昭和の始めまで橋はなかったそうで、それ以前に使っていた船着場も島の中にありました。



島にある弁財天。
橋がまだかかっていなかった昔は、毎年4月12日に船でこの島に渡って弁財天の祭礼をしたそうです。




福浦島の展望台から見た松島湾の景色。


小さな浜もありました。
夏は泳げそうですが、「遊泳禁止」の看板が…


多目的広場や焼き牡蠣などの食事が出来るところもありました。
紅葉がきれいな場所も…。


どこに行ってものんびり散策する私たち。
福浦島を出た時点ですでに夕方になっていて、帰りも私以外は長旅になりますからそろそろ帰りますか…となったのですが、その前に集合写真を撮ろうということで移動。

松島らしいバックで撮りたいということで場所を探したのですが、日が落ちてどんどん暗くなってきそうなので、いちかばちか行ってみたところです。


この日は日が落ちるとどんどん気温が下がっていって、この時点でものすごく寒くなってきました。





最後に人も入れて。
この写真はk-ghiaさんが撮ったものです。


この後、駆け込むように車に戻り、松島を後にしたのでした。

私を仙台に残し、カルマン4台は東京方面へ…

あっという間の2日間でした。

参加メンバーの皆さん、ほんとうにお疲れさまでした!
そしてありがとうございました。
ほんとうに楽しい2日間でした。



みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 08:49 | コメント(0)| トラックバック(0)

カル飲み仙台編(その3)



翌、日曜日は日本三景のひとつ、松島へ。
松島へは仙台市内から30分程度で行けるお手軽スポットですが、ここも誰かと行こうと通りかかることはあってもじっくり見るのはとっておきました。

まずは、お約束の遊覧船に乗ることにしました。

所要時間50分で1400円。
2階のグリーン席はプラス600円。

何社も運行しているのでそんなに待たずに乗ることが出来ます。



松島らしいたくさんの島を見ることができるのですが、後ろのデッキでは島や景色よりもこちらに夢中の方ばかり。

船が走り始めるとカモメだかウミネコだかが後を追ってきます。


エサは船内で売っていて、
普通のえびせんなんです。



カモメとウミネコは足の色が違うということですが、どっちでもいいです。
いつから、こういうことが始まり、いつからえびせんなんでしょう?



慣れたヤツは手から直接持って行きます。
海に落ちたのも確実に誰かがゲットしています。
あんな食感の食べ物は自然界にないのにどうして食べるようになったのか…。

だいたいあんな塩っぽいものを毎日食べていいものなんでしょうか?


(右が鯨島、左が亀島、二つ合わせて双子島。なんじゃソレ?)

後ろのデッではカモメにエサをあげる人、それを写真に撮ろうとする人たちは船内で流れている島の説明の放送はほとんど無関心。
何を見るために乗っているのか…って感じですが、これが面白くて飽きないのは確かです。

これは仁王島という島だそうです。


50分の遊覧時間は、長くも短くもなく、ちょうどいいかな…という感じ。最も沖合いのあたりはそれなりに揺れてました。


船を降りると、すぐ近くにある、五大堂に行きました。
五大堂に行くには短い橋をいくつか歩いて渡るのですが…、
目を正面に見据えて下を見ずに真剣な表情で渡る方が一人…
カメラを持つ右手に緊張感が伝わります…。

この橋はすかし橋といって横に渡した木の間は透けていて下の海が見えるのです。

たくさんの観光客が訪れていました。



これが五大堂。
大聖不動明王を中央に東方降三世明王、西方大威徳明王、 南方軍荼利明王、北方金剛夜叉明王の五大明王像を安置しているので五大堂というそうです。

瑞巌寺に所属するお堂なのですが、1604年に伊達政宗が再建した古いものだそうです。

海風にさらされる木造建築が400年も持つなんてすごいことですね。



屋根の四隅にはカメの胴に竜の頭が乗ったようなものが鬼瓦の役割のように乗っていました。



五大堂の壁面には十二支がそれぞれの方角のほうなのでしょうか?彫られていました。


五大堂から観た松島の景色です。


冬のやわらかな光が海を照らし、そのなかを遊覧船が横切っていきました。





これは以前、仕事の帰り道で通りがかったときに撮った五大堂のライトアップです。





まだ続きます。


みちのく一人暮らし | 投稿者 赤の’57 08:18 | コメント(6)| トラックバック(0)
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